折り紙

折り紙の折り方に関する本はあまたあるが、折り紙の紙の方に関する本はあまりみたことがない。ペルシャジュータンほど高価ではないし、縄文模様ほどありがたみもないが、折り紙の模様は一言の価値がかるように思う。先般、折り紙紙の方の協会と、紙の博物館に、自分が持っている80年代の折り紙と同じものが手に入らないかを問い合わせたところ、折り紙にも本と同じように絶版があり、既に手に入れることは叶わないのだという。あとは、古本屋で探してみてはどうですか?みたいな話になり……僕、ずいぶんいろんな県の古本屋に行ってるけど、折り紙みたことないよ……

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古本市

田谷鋭「母戀」東山魁夷「私の窓」大岡信「透明図法-夏のための」入沢康夫「わが出雲・わが鎮魂」を買う。既読あり。アララギの復刻版も置いてあったが、あれはバラで売ると分からない人はそのまま買ってしまいそうでちょっと不安だった。でもまああれだけ紙がきれいなら復刻と分かって当然なのだけれど、分からない人はわからないかもしれない。僕がまだ古書に出会ったばかりの頃も古い本のたたずまいというのがあまり理解できずに、本物と復刻本の明らかな違いを見分けることができなかった。今だって然程古本のことを知っているわけではないけれど、自分より地上にながく存在している本には敬意を払えるようにはなりたいと思う。あしたも買いにいこっと。

好文出版から出ている「電脳国文学」という本が中古のくせに1300円だったが買った。付録のCDに文字鏡が入っていたので。データは持っているんだけれど、使いながらも有効活用ができていない現状もあり、一から説明してくれるなら高くないかと思い。文字鏡はあんがい一般的なツールだったんだな。

明け方まで書き物をしていて、結局、会社は遅刻した。ターンテーブルの上を走っているような感覚。

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糸状

無あるいは霧から意思によって点がうまれ、それに力が加わり一定の方向へ向かって進みだしたとして、永遠に終着点がみつからない場合にはそれを線とは呼べない。(と仮定する。辞書の上では終着点がないものも線と呼ぶから。だたし、線が概念である限りにおいては、言葉においての線はときには自由であり、思考の上で繰り返し問い直される)終着点を持たず、時間的には継続的に、物理的には360度の一方へもしくは不規則に流れている細い思考(ただし、それぞれは交差しないものとする)をなんと呼ぶか。仮に糸状と呼ぶことにする。メトロノームをたてて、その前に立ち、1秒の速度で拍を刻ませる。心を空にし、眉間の間に神経を集中させて、思考上に点を描いたらそれを押す。その点は秒速1秒で走りはじめる。闇と闇を規定するひかりがはじまりとおわりを告げる時をひらいては閉じ、閉じてはひらく。1秒の60分の1。コンマ1秒のそのまた60分の1。はるか彼方へと進んでゆく点は虹色をしている。どんなに自転車で追い回しても車輪の下に轢くことのできない物質を全力で追う。呼吸をしていては追いつけなくなりそうで息はゆっくりと吐き出してやる。世界や天体を想像してはいけない。概念を取り払わないと、本当の速度を意識できないから。もっとはやく。もっと遠くへと意識を飛ばしてゆくためには風すらも想像してはいけない。ひかりの速さに追いつくために。糸状は一定の速度で非着地点へ向かって進む。

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山百合

Yamayuri2
例えば、あるとき僕には山百合がこのように見える。近所の人が大切に育てている。実際のすがたとはだいぶ違うだろう。何度か描くあいだには、他のアプローチもあるのだと思う。僕は画家ではないから、画に対してこだわりや仕事が絡まないのでそこらへんは柔軟になりやすい。ただいえるのは、これは山百合だということだ。少なくともコスモスじゃない。光と形と背景と。鉛筆で下書きをして、絵の具で塗って、写真で撮って、パソコンで加工した。画自体は子どものお遊びの範疇であるが、それでも僕が山百合だときうからにはなにがなんでも山百合なのだ。言葉上の写実の世界で、花びらの枚数、花の色、厚み、細さ、葉の形、匂い、さわり心地などを詳細に描き込むことは正しいことなのだと思う。その上で光と形と背景がこのように見えている人間の姿というのは嘘ではない。ただし、それを許すと、言葉がものを伝えるという基本的な約束事が崩れてしまう。比喩というのは、この約束事からは漏れていない。だとすれば、僕は初めから言葉の約束事を逸脱していることを、前もって伝える必要があるのだろう。この項続く。

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救いの手の例。

本を探すのはひとつの遊びに近いが僕は読めないことばが人より多いのであんまりうまく本を探すことすらできない。でも最近、丸善のナレッジパートナーのサイトをみるようになってからすっかりはまってしまって時間を費やしてしまう。「インターネットを通じて世界中の学術情報にアクセスできるナレッジパートナーは、最新の商品情報の検索からご注文までを、すべてオンラインで実現します。多彩な商品情報と、簡単な操作で、皆様の学術情報収集と購買業務の効率化を支援します。医学論文から文系科目の学術論文まで、あらゆる専門分野を網羅!英文校正/日英・英日翻訳サービス」という解説を読んでいるだけでも悦びが顔ににじみでてしまう。さすがは丸に善と書いて丸善。古本も扱って欲しいな。誰かやんないかな。

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世界考察。

世界を支配しているものはなにか。支配という言葉を使わないで語るのならば、僕たちを生かしているのはどこのだれか。特別なちからはいらない。食べて眠る。それを確保できる管があるのならば、僕はそれを支配者と呼ぶ。自由を得るために、その管だけはだれにも渡してはいけない。食べて眠る。呑んで眠ると書き換えてもいいが、生命の管を握られないように自活することが自由にとっての根源となる。大人になったのだからだれにも養われてはならない。自由とは可能性であり、物質化するとすれば空間である。自由自体に磁場はない。しかし、世界から空間を奪ってしまえば、世界そのものの存在がなくなる。僕たちが自由を奪われるということは自身の存在が奪われることに等しい。無は存在ではない。零は存在であるが無は存在にはなれない。例え命があったとしてもそれが無化されていれば、存在していないに等しい。人の究極が無であるのは無というのが非存在であるからだ。自らの意志で無を創造することができるというのは達したところにあるはずだ。幾つかの例があるがそこには食べて眠るが必要ないのだろう。僕にはまだ食べて眠るが必要であり自由が必要である。故に、若輩者ということになる。修行が必要なのだ。

食べて寝るを基礎として確保できる者たちにとって、世界は国という融合とは別に滑空の世界を抱いている。神が渡した言葉が対話する相手を決定づけている。もしくは、それをもトランスレーションによって壁を溶かすのであれば、知識と心が世界地図になる。例をあげれば切がないだろう。食べて眠る以外に求めるものがそこにあり、共有知識があれば、そこはひとつの世界となる。その世界で生まれ、消費され、知識と情報が積算されれば歴史が生まれる。(現実世界を見回してみると僕の世界は今立っているここにはない。これについてはまた別の思考が必要となる。)問題があるとすれば、その世界には種がない。よって、この思考は一時中断されることになる。

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カニカニ2。

ビジュアルを調えに所沢のロフトへ。ロフトの紙コーナーのかわいいおねえさんにウキウキする。おねえさんだいすき、わーい。小1時間ほど悩んで本に正しいビジュアルを調えてみたが、いろいろ考えるとやっぱり、かっこわるいビジュアルにしてみても、紙自体はうつくしいものにこだわってしまう自分がすきぃ、みたいな感じになり、結局、1ヶ月に1冊しかできないようなヴィジュアルに決定してみた。(やっぱり僕はアホだった)ああ、紙だいすきぃ。萌え~。しかし、完璧だゼ。ふ、ふ、ふ。

僕は平井功ではないので、当然、完璧な冊子を作ることができないんだけれど、まあ、ちいさな冊子を作るにしてもある程度は気を使ってみようかな、的な。だって、僕の冊子非売品だし。平井功みたいにお金とんないし。お父さんお金持ちじゃないし。でも、自分でちゃんと働いてるし。アイスくりんだし。海外から紙輸入しないし。書誌学おべんきょしたし。亀のこうらも触ったことあるし。(龍宮城には行ったことないけれど)パソコン持ってるし。プリンター持ってるし。ジャノメのミシンも持ってるし。刺繍できるし。絵も描けるし。女の子だし。(冊子とどういう関係が?)かわいいし。でも、年寄りだし。(もはや女の子ぢゃねーだろ) わーい、ひとりのりつっこみぃ。イエーイ!

非売品ながら完全受注生産ですなぁ。期間を1年にして年間で何冊作れるかな。創刊準備号がこんなんでいいのかな。まあ、謹呈もせいぜい30冊程度だし、なんとかなりそうかな。彼くんのだけ豪華版。うふ。(やらしー)

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カニカニ。

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方向性はつかめたカニ。
あとはヴィジュアルカニ。

ビジュアルはできるだけ
かっこわるい風にする方向でカニ。

こんなイメージカニ。
ぷんぷんな感じカニ。
いかにも近寄りがたそうなところが
ブンゴーっぽいカニ。
レッツ、ブンゴー!イェーイ!
眼鏡のズレぐあいがミソカニ。

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うたたね

花に喩えるならば

僕の身体は存在であり
僕の精神は根であり
僕のたましいは蕊であり
僕のこころは色彩である

うまれる尊さを知らず
散りゆく儚さを知らず
ただ雨風の強弱に真向かい
穏やかなひだまりを待つ

「やっとうまれてきたのにね」

母は人の子に言う

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夕凪

水の鼓動は
触れている
きみのこころを
聴いている
雨のしずくは
踊ってる
波の鼓膜と
視葉には
終わらぬ由愛が
鳴り響く

水の鼓動は
時間(とき)の宇海(うみ)
きみを信じて
抱いている
雨のしずくは
弾いている
波の香春(かわら)と
虹彩は
あしたへ望む
色をする

きみのみつめる
河が燃え
痛みに飢えて
いるのなら
死とは怖れる
ものでなく
刃のように
やわらかく
つよい想いの
点となる

河がひとたび
凍てついて
痛みを拡げて
ゆくのなら
詩とは生まれる
ものでなく
呼ばれるように
一瞬(ひとたび)に
求められては
消えてゆく

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