花の名前

スマフォからの初投稿。これができれば寝てても更新できるということになるな。

花の名前は誰かがつけたもの

花は誰かが生んだもの

花はいつもちかくにあつたけれど

花はそれを望んではいない

いちめんの花

満面の笑み

誰かがつくつたもの

僕はいらない

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僕らも自然の一員だ。

ほころびながら花が咲いていた。痛みはやさしさとなつておおきなぬくもり発し、君の涙となつて大地を湿らせた。やがて粉雪が空から降りてくる。ひとりでは敵わないほどの哀しみが世界を覆う日に、ぬくもりに手を広げて花を守ることができるのならばと、君は雪のなかを立ち続けるのだろう。

僕は知つている雪の美しさを。雪の結晶が世界との約束によつてあのように美しいということを。そして僕たちの命も世界の約束によつて守られているということを。

この震災を、戦争の被害と例えたジヤーナリストたちがいる。しかし、これは戦争ではない。自然の摂理であり、僕たちの世界との約束なのだ。自然を恨むことと、人を怨むこととは意味を異にする。それでも、僕らは自然に対して哀しまずにはいられない。例えば文明を否定する人がいるのであれば、それらはあるべきままの世界を保存するべきだと述べるだろう。しかし、僕らも自然の一員だ。たしかに僕たちは愚かだ、これからも世界の病の多くを生産し、そしてそれを引き受ける立場に陥るだろう。しかし、僕たちは限りなく他者のために大地へ涙を流し、心から世界を愛し、平和のために命の果てるまで知恵を搾りだす努力を惜しまないだろう。

あたたかい部屋のなかでケルトのお湯が吹き零れているのを眺めていると、君を憚つて泣きだしてしまいそうだ。

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綱を探して。

書くべきことがみつからなくて。でも、なにも書かないと身体のなかに鬱積してゆく。そうして半年を過ごしている間に、膿が顔の表面を覆つて、とても人の前には出られないようになつた。

僕が一言も語れないあいだに、世界が(それは日本がというべきか)、政治の空白であるとか、復興へ向けての情熱であるとか、人と人との助け合いであるとか、土地や人間の再生に向けてやつとの微かな結晶が可視できるまでになつていた。

正直に語れば、あのようにたくさんの人が波ひとつで命を落とし、その呆気なさにひとつひとつの命の価値が僕のなかで大きく揺らいだ。震災は僕には遠い場所でおきた災害のひとつであつた。きれいごとではなく、やはり、東北という場所はここからは遠い。だからこそ、ここには波は来なかつたし、僕の家もこの街の家も1件として倒れることはなかつた。

今まで生きてきて、多くの人の命を奪うできとごはひとつではなかつた。では、この震災はなにが特別かということだ。すごくつまらないことを言うが、たぶん、映像の力が大きかつたのではないかと思う。映画やアニメで観たような情景が、リアルタイムで流れたというのがすごく大きかつた。

今でもようつべでは映像を観ることができる。叫び声と、家屋が流れてゆく情景、波に浮かぶ炎、渦の中に揉まれてゆく車の数々。それを観ている自分というのを、今になつて冷静に考えることができる。リアルタイムで観ているのに現場にいないということの罪。言葉を並べ替えれば、現場にいないくせにリアルタイムでそれを観ている罪。現場にいないから助けない。それでいいのかという感覚。それが、自己と他者という壁を隔てて当然のように認識されている自分の意識に尋ねた。

涙は出る。涙は幾らでも出る。しかし、涙では意味がない。もつと確実で明確な答えがあの波にはあるはずだと毎日自問自答している。自らの父や母の身体の痛みのように、痛切で強固な束縛を、僕の精神が、ひとつひとつの命と接続できる確実で明確な答えは必ずなければならない。

言葉は、そのためにあると言つてもいい。人それぞれの言葉があり、僕は僕の言葉を探す。吹き出物は皮膚科にゆけば治る。たぶん治る。

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震災24日目。(日記よりコピー)

僕は日ごろ毛布をかぶつてからもあまり眠れないので、硬派なことからニコタのコーデまで雑多なことを考えながら明け方眠りにつくことが多い。今朝もそのようにして寝ていたところ、自分が実際に震災に遭つたという設定の夢をみた。

それはもう津波が押し寄せてきて、街中で見知らぬ人たちと右往左往している姿で、昔のアパートらしき部屋の押入れから浮き輪を取り出して近所の人に配布す るのだつた。そうしているうちに波は寄せてきて近所のアパートを破壊してゆき、2階程度に非難している人たちの部屋を呑みこんでゆく。そして、魚の水揚げ のように意識のない人たちが壁を越えて次々と折り重なってゆく姿に僕は驚愕して、周囲の人たちにここは危ないからもつと上に逃げようなどと言いながら金音 のする階段を駆け上がつてゆく。方々の人から、こちらへこい、こちらの方が安全だなどの叫び声がするのだが、自身の判断を優先させて上つてゆくのに、もう 他者との意見を統合している時間はない。全員助けたいが、自分も助かりたい、この凌ぎ鬩ぎあいのなかで、自分が他者の死を目の当たりにしたときに、どのよ うな感情も浮かびこないことにやや恐れるのである。とはいえ、その善悪を判断する余裕はなく、浮き輪をつけたままどこまでも階段を上がってゆく。東京タ ワーのミニチュアのような鉄塔が折れていて、ほぼその高さに自分はおり、目下には濁流が流れ、先ほどまで一緒にいた人たちの姿はもうない。既に自分には大 波が迫つていていよいよ覚悟を決めて、波の中へ身を投げる。頭を打たないように激流にあって身の安全が保てる波を探しながら泳いでゆく。左には雑居ビル。 その前方に折れた電信柱。その先端に光を放つ電線。初めてみる映像ではあるが、下敷きはテレビなどで仕入れた情報であろうが、僕自身の目の前にあるのは実 際の町並みで、そして、僕はかなりの高い位置から上へ下へと波に揉まれていて、その瞬間ごとは、首から下はなくなつてもいいので頭だけは打たないでくれと 幸運を祈るばかりだつた。

そして、目覚める。時計をみると4時間ほど眠つていた。きつと、眠つている間はずつとこの夢をみていたのだと思う。内容は冗談めいているのだが、映像は初 めてみるものばかりで、これは、今まで僕がみてきた回想の夢とは確実に違う。僕は、子どものころからよく恐怖に値する夢をいくつもみていて、それらは繰り 返し僕の夢のなかに現れて、定番の物語のようになつているのだが、38歳になつたこの年に、このような夢をみるというのは信じられないできごとで、誰かの 意識の憑依だとしか思えないほどなのだ。もうひとつ驚いたのは、胃の鈍痛。胃潰瘍かと間違うほどの痛みが胃に走っていた。病院に行こうかと思つたが日曜日 なので明日の調子をみてゆくことにした。

僕はたぶん混乱しているのだと思う。ここ最近、僕は数年前に同人誌の「某」が矢野目源一の詩集を復刻してくれたときのことを回想している。矢野目が関東大 震災を経て「(その人の思想と)世界が変わるできごとだ」と思念したことについて、字面では理解していても、同様の恐怖や、震撼としては受け止めていなか つたということを気づかされている。震災の被害が、小説家のひとりの人生を砕くだけのものかということについて、半ば疑いがあつたように思う。

しかし、なにか・・・なにかこう今回の震災によつて、いや、これは中東もそうだし、阪神の震災のときもそうだし、中国などの民主化もそうだし、と指折り数 えてゆくと、まるい地球が生きて蠢くもので、そして、その上に生息している人間も、けして安定的な存在ではなく、ただ、自分がどこに生息して、生活を営ん でいるかだけの問題であり、人は生きることに対し、なにを選択するかだけの問題だということが恐怖や震撼として立ちはだかってくる。それが書く方に転じる 人も、書けない方に転じる人もいるのは当然のことだと理解できる。

阪神淡路、新潟、富山ときて、東北から関東にかけての震災が発生した。その度に復興という努力があり、町並みはある程度きれいになるだろうが、必ずしもす べての人に慈悲があるわけではないだろう。そして、それらのひとりにも本当の意味での元の生活というのは戻ることがない。人がうまれて年齢を重ねて、過去 と現在があり、出来事というのは、未来系の存在でもあるが、場合によつては過去からの積み重ねの破壊にもなる。このことを思想としてどう理解すればいいの かは、じつくり書いてみたいなと思う。

今はまだ分からないけれど、僕の経験から想像できることは、人間、どれだけ過去が破壊されようとも、過去そのものの死というのはないということだ。過去は 根源的に死を持たない。金銭や土地、資産というものは破壊されたら失うこともあるだろうし、人間も死んだら土に還る。それらはある程度の循環を持つものだ が、過去、現在、未来というのは循環をしないひとつのラインなのだと僕は考えている。絶望を想うとき、人はしあわせな過去から現在のみすぼらしさを嘆くの だろう。その気持ちは痛いほどわかる。想像して欲しい。世界というのはその人があつてこそ、存在しているということを。あなたがいるから世界はある。あな たがいてはじめて世界が脈動している。あなたと出会うことで僕たちは動き出して人という物語をつくる。あなたがこの世界の主役なんだ。どのような立場の主 人公であれ、その物語こそが世界が存在している意味そのものだ。あなたがいなくなれば、世界もない。あなたの生活こそが、世界からの肯定であると想う。僕 はそう想つて祈り続けたい。

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生きていて、そして生きる

ちいさな暮らしがあつて
ちいさな家があつて
ちいさな街があつて

ひろい大地があつて
ひろい海があつて
ひろい空があつて

自然のことを知らないのは
僕らだけのような気がして
虫や鳥たちが
とてもたくましくみえる

人には希望が必要で
人には意味が必要で
人には明日が必要だ

生きていて
そして生きること

命があつて
命とは燃えるもの
命とは繋ぐもの
命ちは育むもの
命とは地球がある限りにおいて
僕たちのもの

哀しみも
痛みも
すべてはともに僕たちのもの

屈辱や
悔しさがあつたとしても
すべてはともに僕たちのもの

生きていて
そして生きること
すべてはともに僕たちのもの

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個人誌 ブルートレイン 創刊号完成!

個人誌 ブルートレイン 創刊号

2011年3月20日発行 限定260部 印刷・製本 緑陽社

★ 完成しました!
★ 現在、発送作業をしております。

Guest
江田浩司  [ Es] 未来短歌会
三橋直樹  玲瓏

〈 ブルースを探して旅に出よう 〉ブ ル ー ト レ イ ン 創 刊 号

~ Guest 江田浩司エリア ~ 
* 短歌  ひろりんの恋愛日記

~ Guest 三橋直樹エリア ~ 
* 短歌  たそがれに踊れ 
* 一首評 逆幻視(  1) ─音をめぐる二つの物語の紡ぎ直しとしての『 水葬物語』巻頭歌

~ Leading part 玲はる名エリア ~
* 小論  ふくざつだから書くのです 
*  詩   杜鵑草 他全10篇

拝啓 いつもお世話になり叱咤激励を頂戴しまして心より感謝致しております。

この度、個人誌ブルートレイン創刊号が為りましたのでお送り致します。

2009年9月に創刊準備号として詩集を発行してからいちにちたりとも
個人誌への情熱を失うことなくおりましたが、
諸事情により時間を要してしまいました。

本号は、詩歌集『ピュシスピュシス』(2006年北冬舎)の
江田浩司さん(未来短歌会/ES所属)に
読み応えのあるキャラクターを詩歌で描いていただきました。

また、僕と同世代の歌人三橋直樹さん(玲瓏所属)には
塚本邦雄氏の一首評を手がかりとして同歌人の謎多き部分に迫って頂きました。
新しい内容の評論になっています。
また、オリジナルの短歌も頂戴しました。

発送作業をしているとき震災が起き、
被害に遭われた皆様へは心よりお悔やみを申し上げます。
発送を躊躇しましたが予定通り発送をすることに致しました。
言葉ではなにもできませんが、
お互い助け合い励ましあって乗り越えてゆければと願っております。

敬具

※誠に恐縮ですが過去にストーカー被害がりましたため
冊子自体には住所を明記しておりません。
失礼をお詫び申し上げます。

ブルートレイン製作所 http://torina.web.fc2.com/

玲はる名

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冬を越える

葉が落ちるところをみたことはないけれど、休むことなく葉らは母なる木から離れて落ちていった。葉らは母樹の一部であったが、母樹にとっては子どもたちであったかもしれない。木の葉は母樹から生まれ緑色に茂りそれぞれの仕事を終えると一枚残らず自ら母の手を離した。葉らは必ずしも同じ色をしていない。先に芽生えたもの後から芽生えたものその上に芽生えたもの。他の葉に隠れてしまったもの鳥の悪戯に傷がついてしまったもの雨に打たれて変色してしまったもの。落ち葉をみればそれぞれの葉の一生が知れてくる。僕は葉の一枚を拾って涙を流すが葉らに哀しみはないのだろう。夏の間に青く瑞々しい姿を空に捧げている間にも魂は母樹が記憶し続けているからだ。母樹は葉のいちまいいちまいの記憶を整理して持っている。我が子の記憶をすべて秘めて母は冬を越える。木は皆そのようにして冬を越える。

拾う葉は母樹の手鏡 うつくしい母の記憶をわが音にして  玲はる名

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まだ売っている創刊準備号

創刊号を去年だそうと思って間に合わなかったのですが

現在、原稿がほぼできているので可能な限りはやくできるようにがんばります。

ちなみに、創刊準備号はまだ販売中です♪

★注文フォームのご案内

 詩歌誌「ブルートレイン~ブルースを探して旅にでよう~」
 創刊準備号の詩集「朝が来ると信じているのだね?」
 全18篇/36p+表紙等4p/遊び紙あり
 260部/ナンバー入り(なお、ナンバーは選べません)
 売切れの際はご了承くださいませ。

 ※なお、個人情報に関しましては個人情報保護法に則ります。

★ご購入の流れ

 (1) 注文フォームから予約するhttp://form1.fc2.com/form/?id=459867
 (2) れいはるからメールが来る(代金のご案内)
 (3) 郵便局/速フリ でお支払

WebMoney 速フリ

  https://service.webmoney.jp/towallet/spd.jsp?tmpl=send&bid=3858279

 (4) 入金確認
 (5) ご自宅へ郵送(郵送には時間がかかることがありますのでご容赦ください
     *情報等の管理やトラブル防止のため、ご自宅以外への発送はしません。

★お代金

 大人500円+送料込(メール便でのお届けです)

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見知らぬ道にて。

日本には誰も通らない県道があるのね。ずいぶん走っているけれどまったく景色が変わらない。まもなく日が暮れようとして西の杉林におおきな月が浮かんでいる。でも、あんな低い位置に月があるはずもないから太陽なのかもしれないと思って眺めているの。前に座っているのは知らないふたり。しばらく前までは出会うことすら予想できなかった夫婦。でも、数日前に誰かに紹介されて、そしてこうして彼らの車で移動している。道の先にレストランがあるから。太陽や月にくらべればすこししか生きられないから、人は1日を消費するために生きるのか、もしくは、長い年月を消費すればなにかを得られるから生きるのかについての問いを反芻してしまうの。僕がこうして無駄な時間を過ごすたびに、命が摩滅しているのだということに対して恐怖を得るのはきっとそのせい。仮に、僕の命が愛のようなもので決裁するのであれば、僕はそれが本来の人の姿だと考えていた。でも、僕が知る限りでは、僕の命と人生の時間というのは、ひとりの男性の愛ひとつには足りない。男性の愛をひとつ買うということは、実際にいかなる方法でもできなかったのだから。うすぼんやりと橙色に滲んだ月を眺めていると、愛というものが幻想でしかないことの是非を想うわ。月よ、あなたは雨の降る日以外は毎日そこにいて人の心を和ませるけれど、人の心は永続的になにかを和ませることには向いていない。むしろ、花や草木の方が永続的な命と時間を持っている。それに触れるものの数多が和むのでしょう。場合によっては、男性の愛ひとつを買うことができるのは、花や草木なのではないかとさえ思えてくる。僕は自分の命について過大評価をしすぎてきたのだと思う。命さえ払えばなんでも手に入るなんてことはなかった。(僕はそのように考えて花や草木に負けることで、物理的には他の女性に負けたということを消し去ろうという脳の働きを正直にしておこう。)僕には人としてなにが足りないのかな。愛が幻想なのであれば、愛はもっとも幻想に近いものに共鳴し合うのではないかしら。僕たちが官能に近いものを愛だというのは官能が幻想的だからかもしれない。人は幻想を買うことができないけれど官能は買うことができる。でも、買うことができるものは愛ではないから、やがて官能は真の幻想である時間に負けてしまうのかもしれない。月よ、あなたは雨の降る日には僕たちに会うことを望みはしない。僕はそのことがとても正しいように思う。僕があらゆることを諦めるのであれば、苦悩というものはそもそも存在しない。愛をあきらめることが命と時間をまるまる捻出することになるの。いちばん端的なルートね。端的だけれどそれは想像力への敗北になるわ。その無駄に余った命と時間を使って、愛を買うための公式を考えるのならばあるいは僕の命は決裁されるかもしれないわね。

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太陽と銃。(仮)

 朝
  それは、太陽だけが残る地球の朝だ
  地球の皮膚は爛れて
  墨色の大地に黒煙が漂う

 僕は人であっただろうか
  僕は生きものであっただろうか
  僕に命はあっただろうか
  僕に涙はあっただろうか
 
  死んで死んで
  ひたすらに死んでもまだ足らず
  僕は殺して喰ったのだ
  殺してそして喰う命 
 
  僕はあまたの死体から生まれた
  僕はあまたの命から生まれた
  僕はあまたの怒りから生まれ
  僕はあまたの哀しみから生まれた
 
  人が銃に倒れる下に蟻は這う
  人が炎に包まれる空に鴉が羽を広げる
  人を殺し、その命によって人が暮らし
  人が暮らす大地は醜すぎる
 
  僕は憎しみのあまりに
  そいつの首を掴んで
  そいつが確実に発狂する言葉を叫びそうになる
   ((想像すれば僕が発狂する))
 
  衝動を深い呼吸できつく絞めて
  目を見開いて立ち
  臓器のすべてを投げつけて
  すべて還してやる
 
  すべて還してやるから
  僕に僕を還せ
  命を与えられた日
  命を授かった日

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